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稲美町も地方だが生まれ育った泉州も地方だった 幼少期からの振り返り

息子がもうすぐ2歳をむかえるのですが、
イヤイヤ気真っただ中で本当に大変です。

ご飯はふりかけをふるか、お菓子で釣るかしないと全く食べません。
ちょっとでも気に入らなくなったらお茶わんやお皿ひっくり返します。。。

本日は地元での幼少期から学生時代を振り返ろうかと思います。

おばあちゃんおじいちゃんに育てられた保育園時代

僕とお話しした方は皆さんご存じだと思うのですが、めちゃポジティブです!
そして、寂しがり屋です。
ポジティブというかは楽観的です!

「自分はお会いする人に恵まれている」「自分は運がいいからなんとかなる」と本気で思っています。

こんな正確になったのはなんでだろうと考えると祖父母に育ててもらった影響が多いと感じました。

両親ともに中学校の先生で、平日も帰りは遅いし、
部活もあるので土日も家にいないことが多くありました。

ではその時間一人で過ごしていたのかというとそうではなく、
祖父母の家にいました。

もし一人で過ごしていたら、もう少し一人でも寂しくない人間になっていたと思います。

父が仕事にいくときに祖父母の家に行き、祖母に送ってもらって保育園に行き、
祖母に迎えにきてもらって、父が迎えにくるのを祖父母の家で待っていました。

祖父母は何でも褒めてくれるんですよね。。。
皆さんのお家のおじいちゃんおばあちゃんもそうだと思います。

すごいね!しょうちゃんならできると思ってた!といつも言ってもらっていました。

そして、失敗したときも何でも認めてくれるんですよね。。。

仕方ない!大丈夫!次やったらできるよ!とも言ってくれてました。

そのためにこんな楽観的な性格になったのだと思います。

今でも祖父母が大好きでコロナになるまではよく会いに行っていました。

しかし、ずっとこの楽観的ではありませんでした。

周りを少し気にするようになった小学生時代

小学校に行くようになると祖父母の家に行くことは少なくなりました。
週一回は小学校まで迎えに来てもらい、祖父母の家で絵を一緒に書いたり、一緒に将棋をしたりしていましたが、
保育園のころに比べると随分と減りました。

そのため両親の割ときっちりとした性格も出るようになりました。

保育園と違い小学校では、まわりに迷惑をかけると怒れるようになりましたし、
きっちりできていないと怒られるようにもなりました。

そこで、怒られないようにしないといけないと感じるようにもなりました。

一番大きかったのは、給食の時間のご飯でした。
幼いころに食のアレルギーをもっていたので、卵や鶏、そばが出るときは、母に別のものを用意してもらっていました。

給食の正規メニューが美味しいとき、プリンや唐揚げのときは、誰も何も言わないのですが、
給食があまり好きでないメニューで、代わりのものを持って行ってるときは、
いいなー・ずるいなーとよく言われたものです。

このぐらいから、まわりと一緒の方が良いのかと少しずつ思い始めるようになりました。

両親を知っている先生が多かったので生徒会を進められた中学生時代

地方なので、教科会や部活の先生の人数も少なく、顔見知りが多いので、
両親を知っている先生に生徒会を進められました。

国語は大の苦手だったのですが、
暗記モノと計算モノが得意=小中学校での成績は良い
ので進められた部分もあると思います。

生徒会に入ると今まで以上に先生と話すことも増え、
先生に怒られないようにしないといけない。
両親も知っているから下手なことはできない。
と思うようになりました。

部活動でも地域の熱心な指導者の方に教えてもらったおかけで、
府の選抜メンバーに選ばれたりと、模範生のような生活を送っていました。

部活動はソフトテニスをしていました。
最近はジュニアスクールが活発になったこともあり、
今だったら選抜メンバーに選ばれることはなかっただろうと感じています。

一度きっちりした性格になってきましたが、高校でやっぱり楽観的になります。

非常に厳しい部活動で乗り越えるために楽観的に戻った高校時代

部活と勉強もできるということで顧問に声をかけられ、
いつも大会に出ていたペアと一緒に、声をかけてもらった高校に行くことを決めました。

高校はまさに部活をしに行っていました。
部活は一度も休まないけれど、学校は休むといった感じです。

高校入ってすぐにペアを組ませてもらったのが3年生で、
練習試合にも入学当初から多く連れて行ってもらっていたのですが、
自分が原因で負けてばっかりでした。

自分が原因で負けるので、先輩にも顧問にもめちゃめちゃ怒られました。
そして、めちゃめちゃ走らされました。

中学生と高校生では体格も大きく変わり、3年生に技術がすぐに追いつくこともなく、
練習は必死にするのもののどうにもならないこともあり、
良い意味での諦めがつくようになりました。

3年生が引退して新チームになった後も、すごく期待してもらっていたようで、
遠征にも連れて行ってもらっていたのですが、自分より強い相手とばっかりするので、
ほとんどが負ける=めちゃめちゃ怒られる&走らされました。

ソフトテニスはテニス同様、フォアとバックがあるのですが、
イップスでフォアが打てなくなってしまったぐらいです。

このイップスでも、自分でもどうすることもできない。
なんとかなるまで待つしかないと思うようになりました。

合宿もまだ自分の時代はすごくハードで、水を飲まない精神論時代でした。
トイレにいっては近くの水道で水を飲んでました。
お風呂入って深夜も練習、睡眠時間4時間ほどで朝からも練習をしていたので、
目がきちんと開いていないままラケットを振っていました。

こんなけやっても死なないんだから大丈夫と変な自信がついたように思います。

一度ですが県大会も優勝することができ、
やっぱりなんとかなると本気で思うようになりました。

ここまで出来上がった性格は大学生時代も大きく変わりませんでした。

大学生時代以降は皆さんがご存じの性格

なんとかなる精神が身についてしまっているので、
初めて会う他地方の友達にも、
できるやろ・なんとかなるやろ が口癖とまで言われました。。。

バイトもさぼったりや急に辞めるようなことはなかったのですが、
なんとなるだろうと思っていました。

バイト先に強盗が入ったときも、大丈夫だろうと粘っていたら、
警察がきてくれて本当になんとかなったという経験もあります。。。

 

幼少期から学生時代を振りかえってみました。

こんなポジティブで楽観的で、迷惑ばかりかけてますが、
悪気はなく、皆さんには本当に感謝しています!

 

 

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あふれ出た教育者つっちぃ

副理事長一般社団法人 Local innoventures
元理科教師。神戸市から妻の実家のある加古郡稲美町に移住。障害者とそのご家族が一緒にアウトドアアクティビティを楽しむ須磨ユニバーサルビーチプロジェクトを立ち上げたことをきっかけに、教師を辞める。SDGs×地方創生プロジェクト「ローカルイノベンチャーズ」立ち上げにジョイントし、現在副理事長。未来を創る100人会議など中高生の育成にも力を入れている。大学や企業での講演活動なども多数行う。大阪未来創世塾立ち上げ講師。

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